34-19239
商品番号 34-19239

通販レコード→独ブルーライン盤
優美な旋律と柔和な表現が忘れがたい ― カール・ベームとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という自他共に許す正統派がベートーヴェンの「第4番」の録音に、巨匠ヴィルヘルム・バックハウスについでマウリツィオ・ポリーニを選んだということは、この成功を当然予期したためであろう。当時ベームの最もお気に入りだったピアニスト、ポリーニとの共演です。またこれがポリーニのベートーヴェンに対する正統性を保証する結果となったのも興味深いことである。彼は1960年のショパン・コンクールに優勝して間もなく楽壇からふっつりと姿を消し、しかも、その空白が10年も続いた。それは彼のこれまでの人生で最も困難な時代であったとも考えられる。その結果、音の一つ一つを磨き上げるより、その音自体が何を物語るのかが、より重要な事として追求され、実質的に古典的なポリーニの芸術が、この時幾分ロマン的な傾斜を見せ始める。古典からロマンへの橋渡しを演じたベートーヴェンの音楽をポリーニが盛んに弾き出したことと芸術上の転機は想像以上に深い関係を持っている、と考えられる。そしてベームがポリーニとともに録音の仕事を始めたのも、彼のそうした芸術性を高く評価したために違いない。これこそ協奏曲の理想と言って良い演奏であるが、ポリーニとベームという親子以上に年齢の異なる二人が、こうした成果を挙げたのは彼らの共感の交流の強さを示すものと言わねばなるまい。しかし、ここではなによりもまず音楽が溢れるように美しく、ベートーヴェンを通して演奏者たちの心のぬくもりが迫ってくる。協奏曲とは、なんと素晴らしいものであろう。全集が計画されていたようですが、1981年にベームが他界、第1、2番を替わりにオイゲン・ヨッフムが振って変則的なカタチで完成しました。録音はギュンター・ヘルマンス。ポリーニの精巧なタッチが怜悧に録られています。録音としては極上ですが、しかし、演奏としては、この4番は物足りない。ベームはバックハウスとの火花を散らした録音があるし、ポリーニは15年後にクラウディオ・アバドとの全集があるので〝ベーム+ポリーニ〟全集が完成しなかったことは残念とは思えませんね。ベートーヴェンが36歳時に完成したビアノ協奏曲第4番をポリーニが録音したのは34歳の時。第1楽章後半のベートーヴェン自身によるカデンツァを始め、華々しいこの曲の随所に聴かれるフレーズには、粒立ったピアノのタッチに思わずため息が出てしまう程のポリーニの若さの発露が優っている。
ベートーヴェン(1770〜1827)は作品番号のついたオリジナルのピアノ協奏曲を5曲完成している。この内、今日ではあとの3曲が広く演奏されているが第4番ト長調は、このあとにつくられた第5番変ホ長調「皇帝」(作品73)とは、まさに対照的な作品である。作曲年代に関しては、この曲も定説がない。恐らく交響曲第5番ハ短調(作品67)と同じく、1805年に着手され、1806年に完成したものであろう。公開初演は1808年に行われているが、この演奏会では交響曲第5番と第6番「田園」(作品68)も初演された。有名なピアノ・ソナタ「熱情」が作品57、ヴァイオリン協奏曲が作品61であるから作品番号を見ても円熟期の作品ということがわかる。それは、曲の革新的な構成にも現れている。例えば第1楽章では冒頭に管弦楽が主題を提示するという旧来の習慣を破り、いきなりピアノが第1主題を弾き始める。また第2楽章と第3楽章を切れ目なく続けたのも新しい手法である。勿論、このように形式上のことだけではなく内容的にも、かつて無いほど充実しており、独奏ピアノと管弦楽の機能が、それぞれ最高度に発揮されながら見事な融合を示しているのである。カール・ベームはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を駆って、第1楽章の管弦楽提示部でベートーヴェン特有の交響的語法を見事に表現している。このオーケストラは伝統的な演奏様式を墨守しながらも堂々とした音楽を展開するが、例えば至る所のフレーズに支持されたスラーやスタッカートの処理、フォルテシモからピアノに収斂するディナーミクの対照など正確を極める。いや、この場合、正確というよりも厳格というべきだろう。そして力の高揚が造形を崩す一瞬の手前で留まった様な平衡間の確かさには、全く感歎させられてしまう。このような管弦楽に包み込まれたマウリツィオ・ポリーニが、持ち前の安定感を発揮するのは言うまでもない。
それは具体的にいうと克明端正な拍子の刻みやテンポの保持、ピアノ的な技巧の確実さによって支えられている。しかしそれによってポリーニは着実にベームと一致した流れで進みながら、そこに自分を埋没させることがない。実はポリーニがポリーニであることを示すのは、そうした基礎的な流れを整えてからのことで、そこに彼の安定度の高さをも生まれるのであるが、彼はオーケストラを圧倒するように激しい感興を、幅の広いディナーミクのコントラストや表情の大きな息遣いで描いている。しかも南欧の抜けるような青空にも似た透明感を併せ持っているのである。おそらく、そうしたことが最も端的に表されたのは第1楽章と第3楽章のカデンツァであろう。ポリーニは第1楽章ではベートーヴェンが書いた3つのカデンツァの中で、一般にあまり演奏されない最も即興的な変化を持った独創味豊かなものであるが、ポリーニの感情の大きな振幅が示され、終楽章ではやはりベートーヴェン自作の3つのカデンツァの中で古くから有名な最も長いものを弾いているが、ポリーニの芸術の持つ繊細さと豪放さを余すところ無く発揮している。しかも当然のことだがポリーニの演奏では、このようなカデンツァの部分だけではなく音楽全体が成熟したスケールの大きな風貌を示している。それが第2楽章でピアノと管弦楽が一体となって融け合うことを可能とし、第3楽章では明らかにベームよりもロマン的な表情の濃淡を作りながら、次第に高揚する素晴らしい音楽を実現したのである。ベーム指揮のウィーン・フィルも終曲では古典的な端正さを基調としながら、ポリーニの若々しい情熱を鮮やかに受け止め、少しの無理もなくピアノを支えていくのが見事だ。
ポリーニの国イタリアではピアノ音楽にオペラのヴェルディは愚か、ロッシーニやプッチーニにさえ匹敵するものがない。そのためポリーニは自国のものでないベートーヴェンやショパンを弾くのが、彼の演奏にはあまりにも強いイタリア的性格が示されていた。すなわち明晰な感覚美による合理的な造形である。そこに現されるクリアな美しさは、まさに地中海の伝統とも言える古典主義を思わせたが、ポリーニにおいては、それが過去を懐かしむのでなく、常に現在と密着している。イタリア人の国民性の特色は現実に足を踏まえたリアリズムにあるが、ポリーニの音楽にはそのことが強くにじみ出ている。このようなピアニストが、ある意味ではヴェリズモの作曲家以上にリアリストだったベートーヴェンの曲を、見事な平衡感を持って表現するのは不思議ではないが、ポリーニの場合はそうした音楽の感受力が知的な秩序への意図とオーヴァーラップしており、そこにベートーヴェンの意志的な力を改めて示すことになったように思える。彼の弾くベートーヴェンは、地に足をつけた強い安定感が感じられる。このピアニストにまつわる病的な噂はあるが、考えてみればポリーニの初録音は18歳の時であり、そのことを考慮すればポリーニのそうした演奏は、やはり驚異的なものであった。いや、ベートーヴェンを引き合いに出すまでもなく、そもそもはじめからレコードでも安定感が存在していた。レコードの企画などというものには、レコード会社のプロデューサーの意図が大きく働いていることは言うまでもないがベームほどの巨匠が、自分の肌に合わないピアニストとの協演を承知するはずがなく、またポリーニが如何にベームを尊敬していてもポリーニの側からベームに働きかけるのも不自然である。とするとこの二人の協演の実現には、やはりベームの意志が大きく作用していたと見るのが妥当であろう。
1976年6月25日ウィーン、ムジークフェラインザールでの録音。優秀録音盤。ヴェルナー・マイヤーのプロデュースとギュンター・ヘルマンスの録音。
DE DGG 2530 791 ポリーニ&ベーム ベートーヴ…
DE DGG 2530 791 ポリーニ&ベーム ベートーヴ…
DE DGG 2530 791 ポリーニ&ベーム ベートーヴ…