34-22365

商品番号 34-22139

通販レコード→独ブルーライン盤

情熱と理性の調和。 ― 小澤征爾の旺盛な意欲が思い切りの良い初期の覇気や勢いもあって魅力的だ。これ以降、音楽的な質が高く磨かれるとともに生硬さが耳につくが、老練に期待したい。小澤はウィリアム・スタインバーグの後任として1年間の音楽顧問を経て、1973年のシーズンからボストン交響楽団の音楽監督に就任。日本人指揮者では初めての国際的なレーベルからのリリース。小澤の録音のなかでも記念すべき名盤として知られる。いささか力こぶの入った生真面目な演奏ながら、鋭いリズム感、絶妙なバランス感、オーケストラの掌握力など、小澤の美質が十分に現われた演奏だ。明快な指揮ぶりと鋭敏なリズム感、絶妙なまでのバランス感覚、そしてオーケストラの能力をフルに発揮させて圧倒的なクライマックスを築き上げてゆく彼の手腕は、この指揮者とオーケストラがスタート当初から理想的な関係にあったことが分かります。ボストン響との録音としては既にベルリオーズ『ファウストの劫罰』等もあったが、作曲家の生誕100周年を記念した『ラヴェル管弦楽集』はこのコンビにとって最初の大きなプロジェクトだった。大編成のオーケストラによって夢想的に描かれたラヴェルの『ダフニスとクロエ』は、1974年10月に録音された。小澤がボストン響の音楽監督に就任して間もないころの録音。ドイツ・グラモフォンのカタログ・レパートリ拡充に大きく貢献した録音のひとつがこのラヴェル。シャルル・ミュンシュの薫陶を受けたボストン響の音色を最大限に生かした、ラヴェル演奏のスタンダードと言える名盤。小澤盤では「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。この後、小澤の指導で弦楽器奏者の弓使いまで変わってしまう、ボストン響の持つそれまでの重厚さと小澤が引き出した明敏なリズム+透明感のあるサウンドが見事に一体となって、ラヴェルの傑作を十全に表現しつくしている。聴き終わった後の満足感。響きの良さで知られるボストン・シンフォニーホールで行なわれた。録音も浅いアンビエンスで、リズムを刻む管楽器を強調する。技術陣もまた小澤の演奏のコンセプトを理解して取り組んでいる。オリエンタリズムに接近しようとしていたラヴェルの音楽を東洋人指揮者が、どう表現して見せたいのか。ヨーロッパの録音チームの好奇心を喚起するほど、レコード録音の面でも新鮮な関係を小澤は創った。ジョージ・セル、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代から、ロリン・マゼールやダニエル・バレンボイムら楽団員としての視点を持って音楽を共同して作り上げていく指揮者らへの変化の時代に、スイッチングを強いられたのが小澤の恵まれたことだ。この時期の小澤指揮ボストン響のラヴェル管弦楽曲集のシリーズは全てひっくるめて素晴らしいと評価できるが、全集には至らず中途半端なコレクションとして結局途中で頓挫、バレンボイム指揮パリ管弦楽団が尻拭いをした。
小澤征爾は一度だけ辞任を考えたことがあると自伝「私の履歴書」に書いている。タングルウッド音楽祭の講習会を改革した時だ。40年に当時の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した際はボストン交響楽団の楽員が講師だった。なのに私的なつながりでポストが占められるようになり、僕の時代には一層ひどくなった。教える能力より人間関係が優先された。1997年、思い切って講師を全員辞めさせ、ボストン響の楽員を代わりに選んだ。僕の決断を「ニューヨーク・タイムズ」は痛烈に批判した。「失敗したら音楽監督は辞めるべきだな」と覚悟を決めた。この時、「セイジが正しい」とボストン響の理事たちを説得に来てくれたのが、バイオリンのアイザック・スターン、イツァーク・パールマン、チェロのヨーヨー・マ、ピアノのピーター・ゼルキンらだ。ほとんどの理事と楽員の支持も得られた。在任中、僕は楽員の待遇をいつも気にかけていた。根底には日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)分裂時の苦い教訓がある。ストライキだけは絶対に避けたかった。理事長のネルソン・ダーリンに頼み、楽員の給料を上げてもらった。オーケストラとしては珍しく、彼は遺族年金の制度まで作ってくれた。閑話休題、ヨーロッパで活躍してきた指揮者が、アメリカのオーケストラでレコード録音をするためにスタジオで思い通りに吹かない奏者に口説いくらい熱心にリハーサルをして、翌日いざ本録音は安心だ、と指揮棒を振り上げたら初めての顔が並んでいたという、こぼれ話が有る。ヨーロッパはまず書類選考があり、通った人のみオーケストラが招待状を出す方式だけど、アメリカは広くチャンスを与えるようになっているようだ。アメリカには〝League of American Orchestras〟という、労働組合と解釈して良い組織がある。ここは毎年全米のオーケストラの待遇一覧表を発行していて、最低賃金はもちろん、1週間のリハーサル数と本番数、年間の労働週、個人年金などの福利厚生はもとより、さらにはツアーに出た時は一人部屋かどうかなどまでオーケストラ毎に、こと細かく比較してある。文化芸術の創造活動に望ましい 雇用形態・労働環境とは何か。アメリカにはオーケストラという文化芸術の世界でも「成果主義」を導入しようという動きがある。2015年3月にCNNに発表された世界のオーケストラ・ランキングではニューヨーク・フィルハーモニックが一番だが、やはりビッグ6(ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン、クリーブランド、シカゴ、ロサンジェルス)とメトロポリタン歌劇場のオーケストラの賃金は高かった。ただ金額では若干ニューヨーク・フィルに劣るけれど、周りの物価が安いから全米一待遇の良いオーケストラはクリーブランド管弦楽団という説が有力。金管奏者に言わせると、全米のオーケストラでも随一の美味しいポジションはシカゴ交響楽団の第3トランペットだとか。というのも第3トランペットまで必要な曲は少ないから、ソロ活動をしていてもシカゴ響楽団員としての最低賃金は保証されている。前置きしたうえで、さて、かんじんのラヴェルだが、カラヤン盤ではサクソフォーンやトロンボーンが各ソロの箇所で、ここぞとばかりにたっぷりとした演奏を繰り広げる。もちろんカラヤンのリズムの刻みは厳格だ。スネアドラムは自分の世界に入りかけているサクソフォーンなどに引き摺られまいと必至に堪えているのがよくわかる。一方、小澤盤では無難にまとまっているのだが、後半のテナー・トロンボーンのソロがボストンらしくもないことで、ここは全曲の中心部の極めて目立つ箇所なのにグリサンドや装飾音等がぜんぜん生きていない、と柴田南雄著『名演奏家のディスコロジー』(音楽之友社)の「小沢とマルティノンのラヴェル」で言及されているが、ヒューエル・タークイの著書『分析的演奏論』(音楽之友社)の中に(この時期の)ボストン響は主として金管部門に悩みをもっている。トロンボーンはだらしなくなりがちだし,楽団ではいま首席ホルン奏者と首席トランペット奏者を捜している。他の点では以前と変わらぬ偉大なオーケストラである。(新しい金管奏者たちの選考は小沢が最終的な断を下すことになっている - それゆえ楽団の運命は文字通り小沢の耳にかかっている。)と書いている。その結果の出来なのか、『ボレロ』の録音時、ボストン響のトロンボーンの首席奏者は休暇中。この録音のトロンボーンのソロはエキストラが吹いていると言われていることが真実か。要はメロディーを奏するソロ奏者がスタンドプレイにならないよう自制させたのは小澤だ。
小澤征爾は2002年、ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。小澤は38歳の若さで1973年にボストン響の音楽監督に就任します。以来、その演奏は国際的なレーベル、ドイツ・グラモフォンから発売されるようになり、しかもこの国際的なレーベルから、その演奏が発売された日本人指揮者では小澤が初めてのことでした。大きなオーケストラに唯一人対峙する指揮者。NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との事件は彼の指揮者として目指していくスタイルを確信させた。「世界のオザワ」がはじめて持った、「自分のオーケストラ」はトロント交響楽団で、1965年秋に音楽監督に就任した。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤が物珍しい東洋人であったからだろう。遡ること、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督と成っていた1960年。小澤はバーンスタインとパーティーで会うと、街に連れ出され、飲み明かした。小澤には知らされていなかったが、この時点で彼をニューヨーク・フィルの副指揮者にすることが内定していた。明るくスマートでアクも少なく、リズムの扱いもていねいで好感が持てる。このオーケストラは翌61年4月下旬に日本公演を予定しており、話題作りとして日本人を起用してみようと考えたらしい。 欧米のクラシック音楽の中心にはドイツ音楽精神が根強い。小澤の得意のレパートリーは何か、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるだろうか。それは近年の松本でのフェスティバルでもフランス音楽がプログラムの核であることでも貫かれている。ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。小澤が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。しかし小澤自身はドイツ系の音楽もしっかりやりたい。例えばブラームス、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。あるいはやはり重みが必要なチャイコフスキーやドヴォルザークもやりたかった。そこで重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。だけど小澤が就任した時のコンサートマスターのジョセフ・シルヴァースタイン ― その後、彼は指揮者となり成功している。 ― はそういう音を嫌がり、途中で辞めてしまう。それでも辛抱強く時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。それでいてベルリオーズの「幻想交響曲」といったフランス物も素晴らしい演奏ができる。フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、工芸品の美しさに人種の息吹を知るといったふうに小澤らしさとは、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。アグレッシヴで瑞々しい感性を持ち合わせていた頃の芸風を知るにも恰好の一枚です。
  • Record Karte
  • 1974年10月ボストン、シンフォニーホールでのセッション、ステレオ録音。
  • DE DGG 2530 563 小澤征爾 ラヴェル・ダフニスとクロエ
  • DE DGG 2530 563 小澤征爾 ラヴェル・ダフニスとクロエ