DE DGG  2530 456 エミール・ギレリス モーツァルト・ピアノ協奏曲

商品番号 34-17913

通販レコード→独ブルーライン盤

予期せぬモーツァルト ―  ふたりの偉大な音楽家がそのキャリアの頂点で出会った当時、最高峰のモーツァルト演奏 ― ギレリスがソロとしての支配的な部分とオーケストラを補う部分を交互に演じることによって、演奏に寄与した。Linzer Volksblatt 紙評)エミール・ギレリスの協奏曲録音のなかで重要な位置を占める名盤の誉れ高い1973年録音。〝鋼鉄のピアニスト〟と呼ばれるだけあり、力感に満ちた表現を聴かせます。誰が言い出したのか、ギレリスのピアノは「鋼鉄」と比喩され、彼の演奏は常にそのイメージ、いや先入観をもって聴かれてしまったように思います。しかしながら、この「鋼鉄」は、あまりにも一面的な評価にすぎません。ギレリスのピアノ演奏は、その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により常に私たちを魅了し続けており、現在でも多くの音楽ファンは楽曲の本質的な演奏をギレリスに求めています。名ピアニストの故エミール・ギレリスは強靱なタッチで迫力ある演奏を聴かせるばかりでなく、とっても繊細でロマンティックな所もあり、その対比が絶妙で実に素晴らしい。ギレリスが亡くなった齢はまだ69歳で、演奏旅行に出かける直前の予防注射の接種ミスとも言われる不幸な事故での急死だった。米ロの冷戦の最中、西側登場以前、以後ともに豊富な録音が残されていますが、ギレリス50歳代後半、まさに脂の乗り切った絶頂期の録音で若い時から比類ないと云われてきた完璧なテクニック、ピアノを豪快に鳴らしきった明快な音はそのままに表現は一層深みを増している感じ。モーツァルトを中心に据えたプログラムで構成されたザルツブルク音楽祭50周年の記念の1970年8月に、カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とギレリスのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番は〝予期せぬモーツァルト・フェスティヴァル〟に最大の貢献をした(Die Wochenpresse 紙のゲルハルト・マイヤー評)。〝世界最高のモーツァルト弾き〟であることが求められたギレリスであったが、その演奏は完璧であった。テンポやフレージングの選択は、細部としても全体としても齟齬がなく、ピアノとオーケストラの掛け合いも絶妙に構成されていた ― ギレリスが前面に出て来なかったわけでは決してないが良い意味で〝協奏曲的〟であった ― 全体として伝統的なモーツァルト解釈を尊重しつつも非常に自然で、それでいて説得力のある演奏だった。ふたりの偉大な音楽家がそのキャリアの頂点で出会ったのが、このザルツブルク音楽祭でのコンサートだった。この最高峰の音楽イヴェントは、ギレリスが当時最高のモーツァルト・ピアニストであったことを証明している。そしてまた、円熟期のベームはオーケストラを鼓舞し聴衆に感動を与える方法を知り尽くしており、彼らの期待以上の音楽を創造していたことを今に伝えている。その3年後にオーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に代わりムジークフェラインザールでのセッションが行われ本盤として結実した。ギレリスが正規盤として遺した数少ないモーツァルトの「ピアノ協奏曲」の1枚。しかも余白は親子の競演「2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)」は娘エレーナとの初共演録音でした。モーツァルトが死の年に書いた最後の「ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595」は、晩年の彼特有の清澄な作品として広く知られています。欧米をはじめ世界的な活躍を続けたピアニストのギレリスが、ベームとウィーン・フィルハーモニーの好サポートを得て行ったこの録音は、作品の本質を的確に捉えた詩情溢れる演奏として高い評価を得ています。明るい楽想に満ちた「2台のピアノのための協奏曲」は全体に喜ばしい気分が溢れる作品。巨匠ベームとウィーン・フィルのバックも素晴らしく「2台のための協奏曲」では父娘の息の合った絶妙なテクニックも聴きものです。また、ギレリスのベームとの唯一の共演盤でもあります。たっぷりしたテンポで愛情をこめて弾くピアノはあたたかい音色に芯があって美しく、現代ピアノで聴くモーツァルト演奏の喜びだ。遊びはなく禁欲的で第2楽章には感じ切った深い情感がこもる。大人の演奏だ。ベームもここでは比較的良い。第3楽章ではギレリスの技術のすごみ、指の回りが各所で看破できるが、それが音楽の本質にだけ寄与しているというのは演奏家として最高の境地ではないか。
エミール・ギレリス(Emil Gilels, 1916年10月19日〜1985年10月14日)は、ソビエト連邦・ロシアのピアニスト。20世紀を代表する世界的奏者の一人である。1947年からヨーロッパで演奏旅行を始める。西側で自由に活動することをソ連政府から許された最初の芸術家だった。ロシアの自宅では、アップライトピアノで練習していたといわれている。日本にも何度か来訪した。両親は共に音楽家。妹のエリザヴェータはレオニード・コーガンの妻。また、娘のエレーナもピアニストで、父娘で4手ピアノ(連弾や2台ピアノ)デュオの録音を多く残している。ギレリスはスターリンのお気に入りだった。ソ連政府からは、1946年にはスターリン賞、1961年と1966年にはレーニン勲章、1962年にはレーニン賞をそれぞれ受賞している。そのせいでソ連体制に比較的従順だったピアニストと見られがちだが、それは誤っている。1941年、ゲンリヒ・ネイガウスが逮捕された時、釈放させるべくスターリンに直談判したのは、ほかならぬギレリスである。ネイガウスはギレリスの師匠だったが、この師弟は全くソリが合わなかった。にもかかわらず、水面下で行動を起こしたのである。また、リヒテルやラザール・ベルマンのことを、自分よりすぐれたピアニストとして西側に紹介したのもギレリスだったといわれている。彼はそのことについて一度も語ったことはなかった。誰かを助けることを好んだが、それを人前で明らかにすることはなかった。多くの人たちが、助けられたことを今もって知らない。人助けをした時には、他人に口外するものではないこれはギレリスの言葉である。ギレリスは、鋼鉄のタッチと通称される完璧なテクニックに加えて甘さを控えた格調高い演奏設計で非常に評価が高い。バロック時代のスカルラッティやバッハ、ロマン派のシューマンやブラームス、さらにはドビュッシーやバルトーク、プロコフィエフといった20世紀音楽に至るまで幅広いレパートリーを持っていた。プロコフィエフからはピアノ・ソナタ第8番を献呈され、1944年12月29日にはこの作品を初演してもいる。とりわけベートーヴェンの解釈と演奏においては、骨太で男性的な演奏で「ミスター・ベートーヴェン」と呼ばれるほどであった。1970年代からドイツ・グラモフォンで録音を開始し、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、グリーグ等の作品を録音。晩年には骨太な表現が鳴りを潜め、力を抑えた枯淡の境地と言える表現に変わっていった。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に力を入れていたが、5曲のソナタを残したまま1985年10月14日にモスクワで急逝した。演奏旅行に向かう前に病院で予防注射を受けている際、看護師が誤って異なる薬を入れてしまいその結果心臓麻痺を起こしたリヒテルはブルーノ・モンサンジョン著の「リヒテル」で語っている。その死によって、全集は完成されずに終わったが、ギレリスの晩年の境地を示す録音である。
1973年9月19日〜21日、11月にウィーン、ムジークフェラインザールでのセッション録音。エンジニアはクラウス・シャイべによるステレオ録音。
DE DGG  2530 456 エミール・ギレリス モーツァルト・…
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