DE DGG 136 425 ハンス・レーヴライン ワーグナー・さまよえるオランダ人 抜粋
通販レコード→独赤ステ TULIP ALLE HERSTELLER 盤[オリジナル]

DE DGG 136 425 ハンス・レーヴライン ワーグナー・さまよえるオランダ人 抜粋

商品名DE DGG 136 425 ハンス・レーヴライン ワーグナー・さまよえるオランダ人 抜粋

千変万化の表情で音楽を運んでいく手堅いタクト ― ワーグナー歌手たちの抜粋で残念に思われる。》カラヤンと1歳違い。彼と同時代を共有するのは、特に同じレコード・レーベルの所属であれば、割りを食った指揮者は多かっただろう。赤ステ、ALLE HERSTELLER ではじまる初期チューリップ盤でジャケット、レコード良好でこの価格。そしてワーグナー歌手として知られ、ベーム、カラヤンとの名盤も有るソプラノとバリトンで鑑賞後の充実感は約束される。抜粋で残念におもわれる。神罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説を元にした、ハイネの『フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記』にワーグナーが着想を得て再構成し、1843年に初演された。永遠にさすらう幽霊船の船長のオランダ人は「呪いを受け7年に一度上陸できるが、乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず、死ぬことも許されずに永遠に海をさまよわなければならぬ」神との約束に縛られている。嵐から避難していたダラントはオランダ人から財宝を渡され、娘ゼンタと引き会わすことを約束する。ゼンタはオランダ人と出会い、その不幸に心打たれ、救いたいと思いオランダ人につき従うことを約束する。しかし、ゼンタはエリックから婚約を求められていた。次々と約束は結ばれ、順調に運ぶがオランダ人はエリックのゼンタへの愛を見て「裏切られた」と言い帆をはり去っていく。ゼンタは自らの純愛を岩の上から叫び、貞節を証明するために海に身を投じる。ゼンタの純愛を得た幽霊船は呪いを解かれ死を得て沈没する。そしてオランダ人とゼンタは浄化され昇天していくのである。ゼンタを歌ったイヴリン・リアー(Evelyn Lear)は米国のソプラノ歌手。カール・ベームとの「魔笛」が一番に思い出す。ニューヨーク・ブルックリン生まれ。ピアノ、ホルンから声楽に転向、ジュリアード音楽院で学び、1955年ニューヨークの演奏会でデビュー、その後夫でバリトン歌手トマス・ステュアートとドイツ留学、ベルリン高等音楽院で研鑽を積み、59年ロンドンで「四つの最後の歌」で注目を浴びベルリン市立歌劇場で「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家役で舞台デビュー、67年メトロポリタン歌劇場にデビュー、世界各地で活躍し成功を収める。「サン・ドミンゴ島の婚約」の現代のオペラのソプラノを歌い定評があり、またリリック・ソプラノでも活躍。往年の名バリトン歌手、トーマス・スチュワートはカール・ベームとのバイロイト音楽祭での「さまよえるオランダ人」が最高だ。アメリカの生んだ偉大なるバス・バリトン、トーマス・スチュワートは、ベームやカラヤン、クーベリック、ブーレーズ、そしてクナッパーツブッシュなどとの共演や録音でも知られる著名なワグネリアンであり、その声と歌には、多くのワーグナー・ファンの心を捉えて離さぬ独特の魅力が備わっていました。トーマス・スチュワートは、1928年8月29日にドイツ系移民の子孫が多いことで知られるテキサス州のサン・サバに誕生。歌には10歳からのめり込み始めますが、最初は数学を専攻、やがてジュリアード音楽院に進み、在学中の1954年にR.シュトラウス『カプリッチョ』のアメリカ初演でラ・ローシュ役を歌ってオペラ・デビューします。翌年には生涯のパートナーとなるイヴリン・リアーと結婚しますが歌手としての仕事にはあまり恵まれず、1956年にはフルブライト留学生としてドイツに赴き、1957年ベルリン・ドイツ・オペラで『フィデリオ』の大臣役でヨーロッパ・デビュー、1960年にはコヴェントガーデンで『カルメン』のエスカミーリョ役を歌い、さらに同年バイロイトにもデビューし、以後、この地を中心に数々の名舞台に参加しすることになります。母国のメトロポリタン・オペラには1966年にファルスタッフ役でデビューし、1970年代に入ると歌曲のリサイタルでも活動するようになります。その間、夫人のイヴリン・リアーとのデュオ・コンサートも世界各国でおこなわれ、バロックから現代音楽に至る幅広いレパートリーで音楽の多彩な魅力を広めるべく積極的に活動していました。夫妻はマスタークラスやナレーションの仕事にも熱心で、その方面では今でも現役だったといいますから音楽への情熱は歳をとってもまったく変わることがなかったようです。ハンス・レーヴラインはミュンヘン近郊インゴルシュタット生まれ。ミュンヘンでフォン・ハウスエッガーとプフィッツナーに師事。1933年バイエルン州立歌劇場副指揮者兼コレペティトゥーア(音楽助手)としてオペラを学ぶ。35年地方歌劇場でデビュー、46〜49年ドレスデン国立歌劇場、49〜50年ベルリン・コーミッシュ・オーパー音楽監督、50〜61年ベルリン国立歌劇場第一指揮者、61〜65年フランクフルト市立歌劇場音楽総監督(GMD)を歴任。その後バーゼル市立歌劇場音楽監督、フランクフルト音楽大学教授を務めた。チェロと管弦楽のための音楽ほか作曲も多い。69年藤原歌劇団「カルメン」公演のために初来日。77年から5年間に渡って新星日本交響楽団へ客演した。手堅いタクト。歌手が素晴らしいのは当然としても、さらに特筆すべきはレーヴラインの指揮。歌劇場の要職を渡り歩いたその経歴が証明しているかのようで歌手のサポートは当然ながら曲の愉悦感、躍動感、そして哀愁感等々、ワーグナーの波乱の音楽を千変万化の表情で運んでいく。その腕の確かさ、オーケストラや歌手とともに音楽を歌いぬく。ワーグナーの傑作ゆえ、カタログを数多くの名演奏が埋めている。モダン・オーケストラの能力を最大限効果を上げ、金管楽器や打楽器を多用しシンバルが派手にならされ豪華絢爛という派手な音楽ですが、イヴリン・リア―、トーマス・スチュアート夫妻のデュオ・アルバムとして聴いた後の満足感が勝る。
DE DGG 136 425 ハンス・レーヴライン ワーグナー・さま…
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