34-11895
商品番号 34-11895

通販レコード→独ダーク・ブルー黒文字盤
皆様をウィーンに誘う魅力タップリ。 ―  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとの田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。レコード発売を目的としたものではない大戦前のウィーン国立歌劇場のライブ録音が、たくさんあります。クレメンス・クラウスが資料的なものとして録音を認めたことから1933年から始まったもので、クラウスがウィーンを去った後も続き、1944年まで続けられたものです。テープレコーダーが実験段階だった頃で、SP盤への録音のため、せいぜい数分程度ずつの断片的なものでしたが、この時代にこれだけまとまった数の録音は非常に貴重。この時代に登場する指揮者といえば、このクラウスをはじめ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヴィクトル・デ=サーバタ、リヒャルト・シュトラウス、ロベルト・ヘーガー、ルドルフ・モラルト、レオポルト・ルートヴィヒ、フランツ・レハール、NHK交響楽団でお馴染みのヴィルヘルム・ロイプナー、フェリックス・ワインガルトナーなど、錚々たる面々。クラウスがウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。余談ながら、1930年からはフルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者となったクラウスは、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督、そして1937年から終戦までバイエルン国立歌劇場の音楽総監督を務めて、1941年から1944年までザルツブルク音楽祭の音楽総監督を務めるなど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が描くような、ワルターやカラヤンら多くの音楽家が翻弄している渦中にあって、これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。
ウィーン文化、音楽の伝統を維持するために奔走したクレメンス・クラウス。ロベルト・シュトルツにとっては、ヨハン・シュトラウスの作品をオリジナルな形でレコードに入れて後世に遺すことこそ、指揮者としての活動の頂点であることを意味すると云っていたのを読んだ事が有ります。ウィーンは音楽の都で数々の彫像や記念碑や街の通りに、シューベルト、ブラームス、モーツアルト、ヨハン・シュトラウスといった大作曲家の彫像が有ります。いずれも、生まれながらの ― あるいはあとから住みついた、ウィーン市民でした。作曲家であり指揮者であり、無冠のワルツ王の最後の人であるシュトルツも、ウィーン音楽の生き字引としてこうしたカテゴリーに入るのではないか。1887年に天才少年ピアニストとして初めてヨーロッパを旅行してから今日に至るまで、シュトルツはその人生を音楽にささげてきたのです。その間には2,000曲の歌、50のオペレッタ、100にのぼる映画音楽を作曲し、数百回のレコーディングを行っているという。本盤もそうした中のセットです。
ヒルデ・ギューデン、エミー・ローゼ、ペル・グルンデン、ペーター・クライン、クルト・エクィルツ、ヴァルデマール・クメント、カール・デンヒ、ハンス・ドゥハン、マルヤン・ルス、リュボミール・パンチェフ。
DE  DEC  SBA25 046-D/1-4 ロベルト・シュトル…
DE  DEC  SBA25 046-D/1-4 ロベルト・シュトル…
DE  DEC  SBA25 046-D/1-4 ロベルト・シュトル…
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