34-17318

商品番号 34-17318

通販レコード→独ブルー黒文字盤

皆様をウィーンに誘う魅力タップリ。 ― ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとのベートーヴェン・田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。しかし、ウィーンの音楽家たちの運命が暗転する事態が起こる。1938年2月20日の昼間、ウィーン・フィルは楽友協会ホールでワルターの指揮でブルックナーの交響曲第4番を演奏していたが、その同じ時、ウィーンのラジオからはヒトラーの演説が流れていた。不安はあったが、この時点ではこれがウィーンでの最後の演奏になるとは、ワルターは思っていなかった。21日にウィーン・フィルとワルターはブダペストで演奏し、31日にアムステルダムでヒトラーによるウィーン併合のニュースを知ると、ウィーンには戻らないことを決め、スイスに逃れる。ところで今日まで続くシュトラウス・ファミリーによるコンサートも、このナチス時代に始まった。ワルターがいなくなった穴を埋める、クレメンス・クラウスがウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のカール・ベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。余談ながら、1930年からはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者となったクラウスは、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督、そして1937年から終戦までバイエルン国立歌劇場の音楽総監督を務めて、1941年から1944年までザルツブルク音楽祭の音楽総監督を務めるなど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が描くような、ワルターやカラヤンら多くの音楽家が翻弄している渦中にあって、これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。
レコード発売を目的としたものではない大戦前のウィーン国立歌劇場のライブ録音が、たくさんあります。クレメンス・クラウスが資料的なものとして録音を認めたことから1933年から始まったもので、クラウスがウィーンを去った後も続き、1944年まで続けられたものです。テープレコーダーが実験段階だった頃で、SP盤への録音のため、せいぜい数分程度ずつの断片的なものでしたが、この時代にこれだけまとまった数の録音は非常に貴重。この時代に登場する指揮者といえば、このクラウスをはじめ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヴィクトル・デ=サーバタ、リヒャルト・シュトラウス、ロベルト・ヘーガー、ルドルフ・モラルト、レオポルト・ルートヴィヒ、フランツ・レハール、NHK交響楽団でお馴染みのヴィルヘルム・ロイプナー、フェリックス・ワインガルトナーなど、錚々たる面々。ウィーン文化、音楽の伝統を維持するために奔走したクレメンス・クラウス。ロベルト・シュトルツにとっては、ヨハン・シュトラウスの作品をオリジナルな形でレコードに入れて後世に遺すことこそ、指揮者としての活動の頂点であることを意味すると云っていたのを読んだ事が有ります。ウィーンは音楽の都で数々の彫像や記念碑や街の通りに、シューベルト、ブラームス、モーツアルト、ヨハン・シュトラウスといった大作曲家の彫像が有ります。いずれも、生まれながらの ― あるいはあとから住みついた、ウィーン市民でした。作曲家であり指揮者であり、無冠のワルツ王の最後の人であるシュトルツも、ウィーン音楽の生き字引としてこうしたカテゴリーに入るのではないか。1887年に天才少年ピアニストとして初めてヨーロッパを旅行してから今日に至るまで、シュトルツはその人生を音楽にささげてきたのです。その間には2,000曲の歌、50のオペレッタ、100にのぼる映画音楽を作曲し、数百回のレコーディングを行っているという。本盤もそうした中のセットです。
  • Record Karte
  • ヒルデ・ギューデン、エミー・ローゼ、ペル・グルンデン、ペーター・クライン、クルト・エクィルツ、ヴァルデマール・クメント、カール・デンヒ、ハンス・ドゥハン、マルヤン・ルス、リュボミール・パンチェフ。1958年録音。
  • DE DEC KD11026/1-2 ロベルト・シュトルツ レハール…
  • DE DEC KD11026/1-2 ロベルト・シュトルツ レハール…
レハール : 喜歌劇「メリー・ウィドウ」 ハイライツ
ギューデン(ヒルデ)
ポリドール
1998-12-16