34-15795
商品番号 34-15795

通販レコード→豪ブルー黒文字盤
小細工なしで通好み。 ― スコットランド出身で、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者などを務めたアレクサンダー・ギブソンは日本においてはオペラ指揮者の印象がやや強いが、デュカス「魔法使いの弟子」、サン=サーンス「死の舞踏」、レスピーギ「風変わりな店」では大らかでさらっと流していながら奥深い味わいが随所にありお勧めできる。どうしても手堅いという印象が先に立って個性が乏しい様なイメージでとらえられていますが、その理由としては表現がストレートに過ぎる感がなくはないものの、金管の大らかな輝かしい響きなど素晴らしいし最後は感動的、そして充実した響きの盛り上がりも素晴らしい。非常に堂々とした演奏で小細工なしで率直に作品に対峙していてオーケストラからは積極的な表現意欲と力強い共感に満ちた演奏を引き出しており、色濃いロマンティシズムを感じる旋律の歌い口や生き生きとした表情、若いギブソンの作品に対する思い入れと指揮者としての統率力とが十二分に伝わる大変な名演奏が味わえる。ギブソンの演奏は、本盤でも華麗な明るい響きで親しみやすく、録音は高音域のヌケが良い。レコードは高価な嗜好品でしたから、様々な頒布組織がありました。その最たるものがコンサート・ホールですが、初期のビートルズのレコードはスイスでは Ex Libris(GrammoClub)を通して英語盤の他にドイツ輸出用プレス盤が販売されていたそうです。輸入盤となる上質な録音を会員のために各レコード会社からライセンスして頒布する。その個性的なカタログで人気となったレーベルでしたが、イギリスを中心とする頒布組織で「WORLD RECORD CLUB」は1960年代前半までは独自に録音して通に受けるようなレコードを制作していました。しかし、1968年経営が立ち行かなくなりEMIに買収されます。EMIはアメリカでは「キャピトル」レーベルを販売の窓口で持っていましたから、本盤も色々なレーベルからリリースされていました。
ディズニー映画「ファンタジア」で有名になった交響詩「魔法使いの弟子」。作曲者デュカスは、気に入らない作品は一切残さない誇り高き完璧主義者でした。パリに生まれたデュカスは16歳でパリ音楽院に入学。若手音楽家の登竜門「ローマ賞」に応募しましたが結果は2等。1等を取れなかったことに失望したデュカスは音楽院をやめてしまいます。彼は誇り高き完璧主義者だったのです。その後デュカスは兵役に就き、音楽とは無縁の生活を始めますが彼にとっては苦手なものばかり。過酷な訓練に音をあげていました。そうした中、音楽に理解のある軍楽隊の隊長との出会いがきっかけとなり、何と兵役中に2か月間オペラの上演を手伝う、という異例の任務を命じられたのです。オペラは大成功。デュカスは除隊し再び音楽の道を歩み始めます。今度は作曲のみならず音楽評論家の活動も始めました。他人の作品を批評する立場になったデュカスは、自分の音楽に対する完璧主義を一層強固なものにしていったと言われています。そうした中で出会ったのがゲーテの詩「魔法使いの弟子」でした。ドラマ性やユーモアに溢れたこの詩は、デュカスにとって完璧な詩であり彼の創作意欲を刺激したと言われています。デュカスは70以上の未発表の作品を全て破棄し生涯に僅か十数曲しか発表しませんでしたが、そんな彼が自信を持って世に残した完璧な作品、それが「魔法使いの弟子」です。魔法使いの老師が弟子に留守を任せたところから物語は始まります。覚えた魔法を使ってみたくなった弟子は、古いホウキに水くみをさせようと魔法の呪文を唱えます。ホウキは動き出して水くみを始め、水槽の水かさは増えていきます。やがて弟子は、止める呪文を忘れたことに気づきますが、ホウキの水くみは止まりません。遂に弟子は、ホウキにおのを振り下ろし真っ二つに割ってしまいます。やれやれと弟子が安心したのもつかの間、今度は、割れたホウキが2本になって水くみを始めました。もう部屋の中は水びたし。あわや弟子が溺れそうになったところに老師が帰宅し呪文を唱えると、水はピタリと止まるのです。親しみやすいユーモラスな旋律にあふれた交響詩「魔法使いの弟子」は、ゲーテのコミカルな詩の世界を見事に描いた名曲です。
今でこそフランス・ロマン派音楽作曲家の中でも1、2を争う「巨匠」として、そして近代フランス音楽の「父」として賞賛されるカミーユ・サン=サーンスは、少年期はピアノの「神童」と称されたものの青年期から中年期はフランス作曲家の中でも「反動的な」存在として賛否両論的な評判に晒され、熟年期以降にようやく「巨匠」として認められるようになった「大器晩成型」に似た経緯を辿って評判を得た。作曲家としての熟成に時間がかかったわけでもなく、楽想が泉のようにわき出て思いのままに数多くの作品を書いてきたモーツァルトと同じく神童タイプで、周りの一般大衆の評価がついてこなかっただけで、演奏家として、指導者と評判のあったベートーヴェンやブラームスとも違い、ブルックナーの様な「大器晩成型」ではなかったことは言わずもがな。サン=サーンスの「死の舞踏」はフランスの詩人アンリ・カザリス (Henri Cazalis) の奇怪で幻想的な詩に霊感を得て、1872年にはピアノ伴奏付き歌曲として作曲され、交響詩として1874年にまとめられた。午前0時の時計の音とともに骸骨が現れて不気味に踊り始め次第に激しさを増してゆくが、夜明けを告げる雄鶏の声が響きわたるや墓に逃げ帰り辺りが再び静寂につつまれるまでを描写的に描いている。スコアの冒頭には、カザリスの詩から数行が引用されている。
ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上
踵で拍子を取りながら
真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ
ジグ、ジグ、ジグ、ヴァイオリンで

冬の風は吹きすさび、夜は深い
菩提樹から漏れる呻き声
青白い骸骨が闇から舞い出で
屍衣を纏いて跳ね回る

ジグ、ジグ、ジグ、体を捩らせ
踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

静かに!突然踊りは止み、押しあいへしあい逃げていく
暁を告げる鶏が鳴いたのだ
1875年1月にフランスのオーケストラによって初演されましたが、指揮者コロンヌの意に反して演奏された曲であった上に、シリアスかつグロテスクな内容を滑稽に扱った曲のプログラムは、当時の評判はあまり芳しくありませんでした。ロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーはサン=サーンスの室内楽曲を細密画と評価したうえで、その時の様子を“取るに足らないような、へぼ詩人にたきつけられた自分の着想に豊かなオーケストラの衣装をまとわせ、この取るに値しないものに『死の舞踏』という名前を与えるほどの根気強さをもって。 ― どのような理由でこの人物は交響的標題音楽に飛びつくのだろうか?”とリストの「死の舞踏」と比較した疑問を投げかけている。サン=サーンスは、原詩にある「骨の当たる」音をリアルかつユーモラスに表現するために、あえて当時はあまり楽器として用いられることのなかった、「おもちゃ」扱いの木琴を、西洋管弦楽作品で初めて「楽器」として用いたと考えられます。前史としてベルリオーズを知るフランスの聴衆の印象もさるとこながら、ムソルグスキーは冽く好まなかったことでしょう。ところが「展覧会の絵」は、ラヴェルのオーケストレーションで標題色が強くなって人気曲たったのは皮肉なことです。
イタリアの作曲家ジョアッキーノ・ロッシーニは筆の早さでも有名で、数年がかりでオペラを仕上げる作曲家もいるなか、ロッシーニは1年に3本ペースでオペラを発表していました。わずか18歳でオペラ作曲家としてデビュー後、すぐにその実力が認められ売れっ子作曲家に。人気絶頂24歳の時に、わずか13日間で書き上げたのが歌劇「セビリアの理髪師」。喜劇的オペラの天才と呼ばれヒット作を次々と作曲。パリ・オペラ座と10年契約を結んだロッシーニですが、新作「ウィリアム・テル」を作曲中に突然断筆宣言。37歳の早すぎる引退に世間は驚きました。喜劇ばかりもてはやされ、人気の一方で限界を感じていたロッシーニ。時を同じくして、パリでは空前のグルメ・ブームが巻き起こっていました。街なかのあちらこちらにレストラン文化が花開き、中級階級の市民もレストランへ食事に出掛ける時代が到来したのです。ロッシーニはフランス国王シャルル10世の即位に際、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得たことによりますます食に贅を尽くす日々を送る様になっていました。そこに1830年の7月革命が起こりフランス国王シャルル10世が退位する自体に、政変のあおりでロッシーニの年金契約が無効とされてしまいます。そこでロッシーニは新政府を相手に終身年金を求める裁判を起こし、オペラの筆を折ると宣言しフランス政府に圧力をかけたのです。契約はあと5年残っている。グルメ・ブームを通じて、美味追求が芸術や学問と同質の文化的営みと理解されていた時流にもロッシーニは乗ってしまいます。裁判が審議される間のつもりで料理の創作に情熱を注ぐようになり、考案したトリュフとフォアグラを使った様々な料理が評判となり、1836年、裁判に勝って終身年金を得たロッシーニは、すでに料理家としての情熱の方が作曲家としてのそれに勝っていました。溢れんばかりの才能で苦労せずとも有名になった故、その地位に固執していなかったのでしょう。生業にはしなくても宗教音楽や室内音楽の作曲を行い、晩年には各界名士を招いて毎週美食の晩餐会を催し、「ロマンチックなひき肉」「バター」など、料理や食材の題名の音楽まで作曲している。大変なセンスと稀代の作曲能力は衰えなかった。オットリーノ・レスピーギは1879年生まれのイタリアの作曲家、指揮者。「ローマ三部作」と呼ばれる交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」が有名です。このバレエ音楽「風変わりな店」は、レスピーギが、ロッシーニの未出版の小品集の中から素材を借りて作曲した1幕のバレエ音楽です。バレエ「風変わりな店」のストーリーは、海岸沿いの玩具店を訪れたアメリカ人の家族とロシア人の家族に店主が音楽に合わせて踊る人形を見せる。やがて1組の人形の1体が買い上げられるが、残った人形たちが夜中に動きだすというもの。次の8曲が連続して演奏されます。「序曲」「タランテラ」「マズルカ」「コサックダンス」「カン・カン」「ゆっくりなワルツ」「ノクターン」「ギャロップ」。
アレクサンダー・ギブソン(Sir Alexander Gibson, 1926〜1995)はスコットランドの音楽界をリードした指揮者です。マサーウェル(Motherwell, North Lanarkshire, Scotland)の生まれで、グラスゴー大学、ロンドン王立音楽院へ進み、ザルツブルクのモーツァルテウムでも学んでいます。指揮法の師はイコール・マルケヴィチで、1952年にBBCスコティッシュ交響楽団の副指揮者としてデビューします。その後は、ジョージ・ウェルドンの後任としてサドラース・ウェルズバレエ団の音楽監督になり、1959年にスコットランド人としては初めてスコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者に就任して、1982年までその職にありました。途中1962年にスコティッシュ・オペラを設立、1977年にはサーの称号を受けています。ギブソンはシベリウスを得意としていて、LP時代にはデッカ、EMI、SAGAといった様々なレーベルに、当時演奏可能なシベリウスの交響詩の全集録音など、管弦楽作品を数多く録音していました。1978年にはシベリウスメダルを受賞しています。彼によるシベリウスの録音はどれも粒ぞろいで優れたものばかりです。何の飾りもないスーッと伸びる音色の美しさや、木目調の手作りの深い味わいは良い意味でのローカル色が感じられました。オーケストラも十分鳴り切った充実の名演。録音の素晴らしさもあって、凍てつく寒ささえ感じささせ、真摯にして雄大、ギブソンの地味な指揮姿そのものの質朴で男性的な演奏で、これに匹敵するフィーリングはなかなか見つかりません。1989年に来日してNHK交響楽団を指揮、エルガーやヴォーン・ウィリアムス、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲や「スコットランド」を演奏しました。
デュカス:管弦楽のためのスケルツォ「魔法使いの弟子」、サン=サーンス:交響詩「死の舞踏」、ロッシーニ/レスピーギ:風変わりな店。1972年、ステレオ・セッション録音。
AU WRC R02560 アレクサンダー・ギブソン サン=サーンス…
AU WRC R02560 アレクサンダー・ギブソン サン=サーンス…