34-15629
商品番号 34-15629

通販レコード→ 豪カラー・スタンプ・ドッグ黒文字盤 HMV GREENSLEEVE
全音楽史の中でもピークが100年持続した、もっとも高い山脈 ― オペレッタのブームも含めて、19世紀を席巻したのはなにを措いてもワルツ。エドゥアルト・ヤーコプ曰く、「ランナーによってワルツにもロマン時代が始まった」。時はまさにビーダーマイヤーの時代で、大きな向上を望めないなかで日常の悦楽を求めるようになっていた。快感原則が謹厳な道徳的価値観を打ち破り、ウィーン特有の「ゲミュートリヒカイト(心地よさ)」文化を築く元となった。本盤は、ウィンナ・ワルツが骨の髄まで染みこむなど職人気質を持つヴィリー・ボスコフスキーによる定番のシュトラウス・ファミリーやレハールではないワルツ集。ウィンナ・ワルツは、19世紀のウィーンで流行し〝ウィーン会議〟を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ。ワルツ以前、貴族の世界ではメヌエットが優雅に踊られていた。手を取り合って身体の距離を保ったまま踊るメヌエットから、身体を寄せあって相手の腰に手を廻らしてくるくる回り踊るワルツの魅力はあきらかにセクシュアルなもので一世を風靡するようになる。その時代から庶民的な踊りとしてドイツ舞曲やレントラーと呼ばれるものが踊られていたが、公の場で顰蹙を買いながらも次第に官能的な踊りが認められるようになっていた、〝ワルツの世紀〟とも呼ばれる19世紀の初頭、ウィーンにミヒャエル・パーマーが率いる楽団があった。ウィンナ・ワルツを創始するヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner, 1801.4.12〜1843.4.14)とヨハン・シュトラウス1世は共にパーマー楽団の団員であった。ふたりは「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争の中で、ウィンナ・ワルツを発展させていった。彼らの時代になってホイリゲの片隅でバンド活動していた身分から、大きなダンスホールで大衆を相手に演奏するとようになったのがワルツ発展の大きなエポックになった。当時のウィーンで圧倒的な人気を誇り、ショパンにウィーンで『華麗なる大円舞曲』を出版することを断念させたほど。ランナーのファンにはシューベルトがおり、夫々のご贔屓筋が競争して応援を繰り広げる状態だった。彼らのほかにもファールバッハの楽団など、2番手、3番手のワルツ作曲家が目白押しでブームの層の厚さがピークの高さを作り出していた。ランナーはシュトラウス1世の息子ヨハン・シュトラウス2世が黄金時代を築くウィンナ・ワルツの、その最初のピークを築いた人で後続がたくさん出て来たにも係わらずピークの高さが見劣りしない素晴らしい魅力に溢れている。1曲ごとに気の利いたネーミングがされるようになったのも、ランナーの工夫の一つ。いっぺんに親しみ易くなったのと同時に、1曲ごとの個性化になくてはならない発想の元ともなった。天才が早死にしたのは残念ながら、シュトラウス1世に比べても音楽の工夫やエレガンスにおいて遥かに優れた天性の音楽家のように感じられる。ときおり現れるメランコリックな表情が他にない魅力だろう。ポルカ、ギャロップ、レントラー等など、アルバムを通して飽きずに楽しめるだろう。
関連記事とスポンサーリンク
Side-A
  1. マリアのワルツ Marlenwalzer, op.143
  2. タランテラ・ガロップ Tarantel-Galopp, op.125
  3. 求婚者 Die Werber-Waltz, op.103
  4. 新年のガロップ Neujahrsgalopp, op.61 no.2
Side-B
  1. 宮廷舞踏会 Hofballtanze-Waltz, op.161
  2. 兄弟よ止まれ Bruder halt!-Galop, op.16
  3. ペスト・ワルツ Pesther-Walzer, op.93
  4. 蒸気ワルツ Damfwalzer und Galopp, op.94
ヴィリー・ボスコフスキー(Willi Boskovsky, 1909.6.16〜1991.4.21 オーストリア) ― 精妙で自在、血の通ったリズム、優しさと爽快さ、そして華麗でありながら哀感を帯びた達人の世界を表現した、その音楽はマンネリに陥らずいつも生気に満ち、生きる楽しさ、喜びを伝えてくれる。ボスコフスキーは、ウィーンの純美な音楽伝統の化身ともいうべき、まさに〝ウィーン気質〟の音楽家であった。ウィーンに生まれ、ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団、翌年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとなり、1939年から1970年までコンサートマスターを務める傍ら、ボスコフスキー四重奏団(ウィーン八重奏団に発展)、ウィーン・フィル四重奏団を組織して室内楽演奏に勤しみ、母校で後進の指導にも当たった。1969年にウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者に就任、さらにウィーン・モーツァルト合奏団やボスコフスキー合奏団を指揮して活躍した。ボスコフスキーの存在を忘れがたくさせているのは、何よりも1955年から1979年までウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを弾き振りした時の、これぞウィンナ・ワルツの神髄ともいうべき優雅で爽快な名演によってである。1975年と79年のライヴ録音盤を含む「ウィンナ・ワルツ大全集」(1957〜79年、LONDON)と、ウィーン・モーツァルト合奏団を指揮したモーツァルトのセレナード&ディヴェルティメント全集(1967〜78年、LONDON)は、ともに永遠の遺産といえる。
1977年リリース、ステレオ録音。
AU EMI ESD7045 ヴィリー・ボスコフスキー ランナー・ワ…
AU EMI ESD7045 ヴィリー・ボスコフスキー ランナー・ワ…